院長 森田 龍之
- 出身地
- 大阪市平野区
- 生年月日
- 昭和52年7月23日
- 年齢
- 46歳
- 趣 味
- 史跡巡りや自然散策、格闘技視聴、仕事✨
- スポーツ
- トレーニング
- 好きなもの
- お香、ドリップコーヒー、カレーライス
子供の頃の夢
1977年・大阪生まれの大阪育ち
小学校の卒業文集での将来の夢は、ただただ『職人になりたい。』でした。
そんな事も忘れて高校卒業後、『人を助ける仕事がしたい。』と消防士を目指すも断念…。
自分には無理だと思いすぐに諦めてしまいました…。しかし、その後も人の為に仕事がしたい!という想いは消えず…。そんな中、転機が訪れたのは23才の春でした。
治療家の道へのきっかけ
23才の春、歩けないほどの腰痛で接骨院に通いました。何回通っても完治せず、痛みに対して不安であり、接骨院を転々とし…最終的に、通うのをやめてしまいました。自分のせい(接骨院を転々と…)でもありましたが、長い間本当に辛い思いをしました。
しかし、数年後…接骨院に行っても病院に行っても満足いかなかったものが、素人ながらに勉強し、自分自身で治すことができたのです。
この経験から、もっとからだの事を知りたい!勉強したい!と考えるようになり、
25歳の春。
接骨院の門を叩きます。1からのスタートです。
養成学校時代
下積み時代は、いわゆる丁稚奉公です。
働き始めて1年、平成16年4月に、柔道整復師専門学校(大阪ハイテクノロジー専門学校)に入学。
昼間は接骨院で働き、学費を稼ぎながら、夜は専門学校で勉強した怒涛の3年間…。勉強嫌いだった私ですが、解剖学、生理学、運動学など専門的な勉強が楽しくてしょうがなかったのを思い出します。通学の電車の中、休み時間、寝る間も惜しんで、生活のすべてを勉強に費やしました。
この3年間は、自分で言うのもなんですが、たくさん仕事し、本当によく勉強しました!(資格を取得したら、更に情熱は増すのですが・・・(*’▽’))
その甲斐あって、平成19年に国家資格の柔道整復師免許の合格ラインを軽く越えることができ、無事合格!! !! !!
しかし、ここがゴールではなく、これからが新しい勉強の始まりでした。
修行時代
〇卒業後、すぐに和歌山に旅立つ
接骨院といえば、柔道整復師が柔道整復術を行う施術院です。骨・関節・筋・腱・靭帯などに加わる急性、亜急性の原因によって発生する骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷などの損傷に対し、手術をしない「非観血的療法」によって、整復・固定などを行い、人間の持つ治癒能力を最大限に発揮させる治療を行うことが基本業務です。いわゆる「ほねつぎ」です。
〇大阪に戻り整形外科で5年の修行。
整形外科とは運動器の疾患(骨折・脱臼・捻挫・腰痛・膝痛などなど)を診る病院です。接骨院との違いは、レントゲンがあり、お医者さんが診断することです。病院勤務時代では、午前は整形外科医の診察補助やレントゲン肢位のセッティング・リハビリテーション・アスレチックリハビリテーションを行い、お昼は老人ホームで機能訓練、午後からまたリハビリテーションを行い、診察終了後にはドクターをつかまえて質問攻めの日々…先生には本当にお世話(ご迷惑・・・?笑)になりました。
〇神奈川の理学療法士の先生との出会い。
大阪の整形外科勤務時代にもうひと方、素晴らしい先生に出会いました。
日本を代表する理学療法士です。
『 理学療法士 』とは、ケガや病気などで身体に障害のある人や障害の発生が予測される人に対して、能力の回復や維持、および障害の悪化の予防を目的に、自立した日常生活が送れるよう運動器、呼吸器、脳血管障害など、各疾患別に支援する医学的リハビリテーションの専門職です。
横浜を中心に、浅草、北九州、富山、愛知での先生のセミナーに師事し、トップクラスのセラピーを教授していただきました。様々なリハビリテーション技術はもちろんのこと、自分自身で気付くという「 センス 」を磨くことを教えて頂いた、本当に「職人」の先生です。
各分野のトッププロ選手に会えたことも当時は役得でしたね✨(^^♪
関東でお体の不調でお困りの方は、是非一度受けられてください。→ セララボ
関東へ引越しされる方は、当院から紹介させて頂きます。
接骨院くくる龍光堂の誕生
平成26年4月28日
「 接骨院くくる龍光堂 」開院。
柔道整復師・整形外科医・理学療法士の3人の師匠によって接骨院くくる龍光堂式の施術はできあがりました。
今では、たくさんの患者さまに信頼して頂き、充実した毎日を過ごさせて頂いております。
これからも進化・成長し、益々頑張ってまいります。みなさま、接骨院くくる龍光堂をよろしくお願いいたします。
<(_ _)>
お電話ありがとうございます、
接骨院くくる龍光堂でございます。